『時計じかけのオレンジ』感想
ずっと気になっていたけど、見ていなかった作品...『時計じかけのオレンジ』
やっと見ました。
ストーリー情報ほぼなしで見たんですけど、いやー、、、これはインパクトありますね。
終始不快感がこみ上げてくる映画って、こんなのありですか!!!(褒めてる)
スタンリー・キューブリックさん、鬼才すぎます。
15歳の不良少年が犯罪を犯し、投獄され、治療され、再び社会に戻るまでを描いた映画。
ざっくり言えばこれだけなんですけど、センス抜群な音響・舞台セット・カメラワークによって、漂う非日常感。陰湿な雰囲気。
これは感情移入して楽しむ映画ではないですね。
客観的に観るから作品の価値が味わえる。
てことで、以下ネタバレ込の感想です。
まずはストーリー以外の要素について。
スタンリー・キューブリック作品は常套手段とも言える時間操作。
今回も光ってましたねー。
スローモーションで、視線誘導や臨場感の演出、早回しで心情の暗喩なんて、、、上手いなぁ。
映像に緩急を付けるだけじゃなくて、何かしらの意味も付与してくるあたり、非常に好きです。
衣装・小道具・メイクも良かった。
綺麗なカット作り。
絵作りに関してはいつも本当に神ってます。
さてさてストーリー。
.....なんてことだ。不快すぎる。気持ち悪くなりながらなんとか最後まで観たけど、観たけどね!
ただ、メッセージ性はとてもありました。
論点が沢山詰め込まれてた。
私的には、精神病理を大学で専攻していることもあって、映画中メディアに叩かれてた例の治療(ルドヴィゴ治療)が、印象的でした。
犯罪抑止や社会復帰だけを考えるなら、あの精神療法でもいいと思う。
だけど人間の尊厳や人権尊重を考えると、非常にまずい治療だなと。その点は牧師が言ってくれてました。
「誠意の欠けらも無い。道徳的選択の能力を奪われた生物にすぎない。」と。
本当に、その通りです。
意味もなく人を殴ったり、強姦したりすることは無くなるかもしれないけれど、
仮にもし彼に愛する人が出来たら、
その人が他の誰かから暴力を受けていたら、
彼はその愛する人を抱くことも、守ることもできない。
性欲や暴力は必ずしも悪じゃないんです。
誰かと愛を確かめたり、誰かを守ったりすることもできるんです。
そういう選択をすることを、彼はあの治療で奪われたと言っても過言ではありません。
...まあ、映画ラストで治療前の彼に戻ってしまいましたけど、、。
あれほどまでの狂気。
直接の原因は何だったんでしょうか?
もしかしたら扁桃体に異常でもあるのではないか、だとしたら治療の種類が変わってくるのではないか、、なんて考えを巡らせてますが。
色々思うところはありますが、個人的には好き...というか学生のうちに観ておきたい映画だなと思いました。